激動の40代!

私は現在40代。高校卒業後上京し、24歳で帰省。この20年以上の間にいろんなコトがありました。辛く苦しい思い出したくない過去も多々ありました。でも、人生年を重ねることは悪いことばかりじゃなく、たくさんの経験をし、多くの方々との出会いもありました。私は常々「命」=「時間」だと思っています。“生きている”ということは自分の限られた時間を使うというコト。その時間はかけがえのないものです。私はまだまだ40代のひよっ子だけど、今まで起きたコト、感じたコト、決意したコトなど赤裸々にこのブログで語っていこうと思います。

ある日突然 「顔面神経麻痺」10

本当に自分は今まで頭で動いていたということが解った。

思い知らされた。

 

こういう時はこうするといい。こうしよう。などと・・・

 

でも、体は見た目前向きな行動をとっていても、心が不満を言っていた。

 

本を読んでも、人から教えてもらった話しでも、

 

「何か問題あるのは”自分に原因があるんだよ”って」

 

って言われて知っていた。

 

でも、いつも

「でもさ~、わかるけど、こうじゃないの?

こっちも努力してんだから、そっちもやんなんねーんじゃないの?」

 

って思いながら、大人の対応をしていた。

大人の対応とは、心は動じてないよ。と平然と振る舞うことだ。

 

でも、心はいつもキリキリというかツーンとしたものを感じていた。

 

言わば、上っ面の対応をして自分をごまかしていたのだ。。。

 

本当は嫌なのにカッコつけて・・・。

 

入院中、心の声を書き出し整理してみて解った。

頭で知って、頭で理解して、頭で対応していた。

心の声みたいなのを無視していたのだ。

 

でも、入院中

心の声に耳を傾けた。

トコトン聞いた。

 

心の声に耳を傾けて、その一つ一つを拾い上げた。

 

そしたら、自分は苦しんでいたことに気付いた。

 

その苦しみを生み出していたのは

いろんなことを私の思い通りやってくれない相手が原因だと思っていたけど

 

実はそうじゃない・・・

 

苦しみを生み出していたのは

頭だけで動いてきた、自分の感情を無視してきた

 

自分

 

が原因であるということに気付いた。。。

 

素直にそう思った。

間違いないと思った。

 

だから前のブログでも書いたように

 

「あれ、これって俺が原因じゃね?」

 

って思ったとき、気付いた時

 

いろんな感情(申し訳ないという気持ちや自責の念など)がこみ上げてきて

涙が止まらなかったんだと思う。。。

 

本当に心からそう思った。。。

 

 

そう思った時、

 

心がフワッと緩んだ

その感覚が自分の胸のあたりで感じた。

確かに感じた。

 

そして、固執しているものを手放そう。

 

そう思ったら、どんどん心がラクになっていった。

 

 

 

頭で理屈は解っている。

でも、そう簡単にやすやすと出来るものではなかった。

 

もしかしたら、世の中

出来る人もいると思うけど

 

自分は出来なかった。

 

でも、出来なくて良かったんだと思う。

 

でなければ、

 

全ての原因は自分にあるという

 

本当の意味が理解できなかったであろうから・・・

 

 

今ならちょっとだけ解る。

 

 

今の自分の心はとても安定している。

 

ラクなのだ。

 

ラクだというのが、頭でではなく

 

心でというか胸のあたりで感じる

 

言ってみれば、ゆる~い感じだ。

こんなにラクなんだぁと思うくらいだ。

 

この感じたこと、思ったことを

素直にスタッフに伝えたいと思う。

 

そして、しっかり謝ろうと思う。

 

今の僕なら

ちゃんと謝れるような気がする。。。。

 

来週の火曜日の夜、仕事終わってからスタッフの皆に時間を取ってもらえることになった。

 

その時、ちゃんと謝ろう。。。

 

今までごめんなさいと。。。。

 

 

ある日突然 「顔面神経麻痺」9

発症から二週間

 
 
今日、
 
ピクリ
 
と動かなかった左側の口元が
ちょっとだけ動いた。。。
 
鏡で見てみたら
確かにちょっとだけだけど
 
動いた。
 
なんか嬉しい。。。
すごく嬉しい。。。。
 
口角を自分の意思であげることが
こんなに嬉しいなんて。。
 
まだまだ目は閉じれないし
額のシワも戻ってこないけど
 
でも、少しだけ動いた
それが嬉しい!
 
今まで当たり前だと思っていたけど
本当は当たり前じゃなくて
有難いことなんだ・・・
 
一度、体の機能がストップしてみて
遅まきながら初めて気付いた・・・。
 
 
 
 
そして、今日も自分の心に浮き上がってくる感情を
客観的に観察してみた。
 
一つ感じたものがあった。
 
 
それは、
 
家族にしてもスタッフにしても
今まで
何かコトあるごとに気になるというか
気にさわる出来事があった時
 
一回一回
その出来事にマイナスのイメージを心に
抱いていたけど、
 
今は、さほど気にならない。。。
 
“気にしない”ではないのだ
 
気にならないのだ。。。
 
 
なんでだ?
 
周りのみんなは
自分が退院したばかりだからと言って
特別変わったことをしている訳ではない。
 
いつもと同じはずだ。。。
 
でも、
気になってしょうがなかったことが
さほど気にならない
というのは大きな感情の変化だ。。。
 
とにかく
心が疲れないというか
ラクなのは実にいいものだ。。。。
 

ある日突然 「顔面神経麻痺」8

先日、仕事がラクだと書いた。

 
 
仕事して三日間
おかげさまで忙しい。
 
体的には疲れているのかしれないけど
とにかくラクな気持ちで仕事が出来ている。
 
本当に心のあたり
まさに胸のあたりの
キリキリとかツーンという感じが全くないのだ。
 
なんでかな?と思った。。。
 
自分の検証だが、
 
固執しているものを
辞めたからかもしれない・・・
 
それと、もう一つ
今までにない感情というか感じがある。
 
それは、
スタッフや家族に対しての感情のことだ。
 
今までも
何かあれば、事あるごとに
「ありがとう。」とかは言っていたけど
 
同じ
「ありがとう。」にしても
今は、その都度本当に心からそう思える。
 
 
今までの心の声を正直に書くと
 
ありがとうって
良い言葉だから
魔法の言葉だから
 
いっぱい言った方がいい。
ことあるごとに言おう。
いや、言うようにしよう。。。
ことあるごとに大人の対応をしよう。。。
 
とやっていた。
 
入院前も入院後の今も
側から見ていたら、同じ光景だと思うけど
 
確実に一つだけ違うとしたら
私の気持ちだ。
 
本当にありがたいと思えるから
不思議というか気持ちいいのだ。
 
こんなにも違うものか!
と思うほどだ。。。
 
それと、もう一つ
自分は今まで
 
あ〜もっと早くやってよ
なんですぐ片付けないの
電気付けっ放し
毎回同じごと言ってんじゃん
 
など、
ありがとね
という言葉は意識してよく言っていたけど
 
ことあるごとに
小言を心の中で言っていた
 
しかもしょっちゅうだ。。。
 
 
でもだ。
 
でも、今は
心の小言が出ないのだ。
 
不思議だ。。。
 
同じ状況下にあっても
 
あ、分かってはいるだろうなぁ
なんか今、手が空いてなさそうだもんね
腰辛そうに歩いてんなぁ、大丈夫かな?
 
とか
そんな風に見えるのだ。
 
付けっ放しになっている電気でさえ
気づいたら俺が消せばいい。
 
前みたいに
何回言ったら分かるんだよ。
のような感情が出てこない。
 
 
 
 
実に
心がラクなのだ。。。。
本当にラクなのだ。。。
 
 
なんで今まで、こんなに
辛い気持ちの感じで毎日過ごしていたんだろう・・・
というぐらい
 
今はラクチンなのだ。
 
 
 
これが固執していたものを手放すということなのか。。。
 
 
 
自分がキリキリとしたツーンとして感情があったのは
 
ぜ〜んぶ、
 
自分が原因だと気付いた。。。。。
 
 
これは素直に思えることだ。
 
今は、格好つけて行っている訳けではない。
ホントにホントに心から思えるのだ。。。
 
 
今、時刻は5:45AM
 
清々しい気持ちでメールを打っている
 
今日の仕事もきっと気持ちいいに違いない。。。。(^^)
 
 
 

ある日突然 「顔面神経麻痺」7

顔面神経麻痺になった理由・・・・

 
 
を、今回は綴ってみよと思う。。。。
 
 
そもそも末梢性顔面神経麻痺は
何故なるか?という明確な原因は不明のようだ。。。
 
 
でも、原因は不明でも
起きてる現象は
 
顔が片方動かない・・・
 
という現実。
 
 
物事が起きるには
全て意味がある、メッセージがある
 
という観点から自分なりに出た答えというか
こうじゃないかぁと思うことを書いてみよう。
入院中思ったことだ。
 
入院中はお陰様で時間だけはあった。
だから、いろんなテーマについて深く
掘り下げて自分と見つめることが出来たのだ。
 
自分になりに出た見解は、二つあった。
 
その一つが
笑顔への執着。
 
私は常々、スタッフの人達に
「笑顔は本当に大切。笑顔は人を喜ばせるよね。
人に貴方を受け入れていますといいうメッセージだから、意識してやりましょうね。
特に入店時/退店時はお大きな笑顔でね。
人間の顔だけは、心臓や胃袋と違って、自分の意思で動かすことが出来るんだから
意識すれば誰にでも出来ることです!」
 
と言って、時には笑顔のワークもよくやっていた。
 
ところがだ、
いくらスタッフに言っても、
見たとこ、9割出来ていない。。。
 
あれだけ言ってなんでわかんないのかぁ・・・
 
といつも思ってた。
朝礼、ミーティングの度に言っていた。
 
「意識することが大事です。意識すればいつだって出来るんですから。」と。
 
彼等の顔を見るたびに
出来てない笑顔に正直、いらだちさえ感じていた。
 
「なんで出来ないかなぁ〜」と、何度もだ。。。
 
入院中、いろんな気持ちを整理していた時、正直彼等への不満を
紙に書いた。書き殴りのような汚い字だったけど
感情の思うまま書き綴った。。。
 
いや〜どんどん出てきた。
よく出るものだ。
こんな風に俺って思ってたんだ。
溜まっていたモノを全て吐き出すかごとく
ドンドン書いた。
 
そして、俺は
こうして欲しいんだよ!
ということも続けて書いた。
 
その後、書くだけ書いたら
気持ちがスッキリした。
 
俺、やっぱいろんなことが溜まっていたんだなぁと
書いた後、読み返したら客観的に見えた。
 
その後だ。。。
自分の心に異変みたいなのを感じたのが、、、
 
 
「あれ?スタッフが笑顔にならないのって、もしかして
俺が原因じゃね?」
 
と。
 
そう思ったら、前のブログでも書いたが
心臓がドカドカとしてきた。
 
なんか一気にこみ上げてくるものがあって
いきなり涙が出てきた。止まらなかった。。。。
 
申し訳ないという気持ちと自責の念とありがたいという感情やら気持ちが
一気に押し寄せてきたのだ。。。
 
 
この時、もし神様がいるのだとしたら
 
神様にこう言われた気がした。
 
「お前がそれほど大事にしている笑顔。いつでも、どんな時でも
“意識すれば出来るんだよな。ほら、今すぐやってみろよ。意識したら出来るんだろ。
あれ?なんで出来ないの?言ってること違うんじゃないの?”」
 
そう言われた気がした。。。
 
この時、
自分がスタッフに笑顔を強要していたということが解った。
今まで解らなかった。
 
顔が動かなくなった第一の理由がコレである。
 
固執しているモノ、執着しているものが強過ぎ、
自分が大事だと思っている「笑顔」を人に求めていたのだ。
しかも強烈に求めていたのだ。
 
“笑顔”が大事、大切という気持ちを持つのは
間違っていないと思うし、これは私の中で
大切にすれば良いと思うけど、
 
それを“人に求める、強要する”というのは
全くもって違うことなのだ。。。。
 
これを気付かせるために
 
“顔が動かない”
 
という現象が起きたのではないだろうか・・・と思った。
 
これが、顔が動かなくった一つ目の理由だ。
 
 
 
そして、二つ目の理由は、
 
自分には結構前からやりたいことがあった。
先ずは仕事に関して
これからは、同じことだけやってちゃだめだ!
何かやらないと。。。
 
そして、これからやりたいと思っていることは
パソコンのメモのよく書いていたのだ。
 
そして、いつまでにコレをやろうなどと、何度も
何度も書いていた。
 
過去のメモを見るとよく分かる。
 
本当に何度も同じようなこと(自分がやりたいこと)を
書いていた。見れば見る程、こうしたいということを書いていた。
 
書いていたのにも関わらず、ほとんど何もカタチに出来ていなかった。。。
いわゆる計画倒れだ。
 
だって、忙しんだもん。。。
やりたいことの前にやらなくちゃならないことが多すぎてできないもん。。。
あー、時間が欲しい、時間が欲しい。。。
時間さえあれば出来るのに。。。
今度の連休の時に、もう一度やりたいことをリストアップしてみよう。。。
 
と、出来ない理由が出てきて、
 
そうだよ。今時間無いんだもん。
やんなきゃいけないのからやらないとダメじゃん。
そっちを先ずやってからだよ。
 
と自分で、
今思えば、正当化していたように思う。
 
そんな時だ。
 
同業者の同じ年代の同じ地域のやり手の彼が
 
自分のやり方で仕事が成功し本を出版することになった。
 
彼のSNSなどからバンバンその情報が流れてきた。
ぜひ、買って読んでください!と直接メールも来た。
 
胸のあたりがキリキリというかモヤモヤした。
 
正直な気持ちを今書いている。。。
すごいねー!おめでとうと言っているのに
心はそんな気持ちだったのだ。
 
その時、自分にも嫌気がさした。
 
「俺って、小さーっ、」
 
と。
 
彼は本当に努力家で人あたりも柔らかいし一所懸命やっているし
成功して当たり前なのだ。
 
それを素直に喜べない。
言わば、嫉妬だ。
 
情けない・・・
俺って小さい・・・
俺は遅れをとっている・・・
 
そんな感情が湧いたから
胸のあたりが痛かったのだと思う。
 
ここで、神様の2回目の登場だ。
 
「本当にお前は、計画だけ。
あれもやりたいコレもやりたって言っておきながら、全然何にもしていない。
出来ない理由を正当化して、一個でもやれば良いのに全然動かない。
そんなに動かないんだったら、体の一部を停止してやるよ。。。
その方がいいだろ、どうせやんないんだから。また出来ない理由があって
万々歳じゃ無いか!」
 
こんな風に言われている気がした。
 
 
 
 
コレが顔が動かなくなったであろう
自分が思う二つの理由である。。。。
 
 
 
 
私は見えないものがか見えたり、何か聞こえたりなど
霊的なパワーみたいなのは一切ない。。
 
でも、フッとそんな風に言われいるように感じたのだ。
 
 
病院では
治療として、薬を投与したり飲み薬を出されたりするので
もちろん受けたが、
 
本当の原因はコレじゃないかなぁと思っている。
 
だから、仮に
薬が効いて、もし顔の動きが戻っても
この自分が思う二つの理由の改善をしなければ
また、別な形で何か起きるような気がする。。。。
 
物事は何か必ず意味があって起こると思ってるので
そう素直に思った。
 
 
だから、
入院中時間があったので
 
もう一度、心の奥底まで掘り下げて
 
自分は何がしたいんだ。
何をしたくないんだ。
こらからどうしたいんだ。
 
そんなことを
また、ひたすら書いた。。。
 
そして、見えてきた。。。
 
俺はこういうことがしたいんだ!
 
ということが。。。。
 
 
仕事のことはもちろん
普段の生活面についても
トコトン掘り下げて自分と対話した。
 
このワークとでも言ったら良いのか気持ちを書いて整理し
改めて読み返してみたら
 
 
 
心がフーっと軽くなるのを感じた。。。
 
 
 
素直な心の感情とでもいうものだろうか。
 
 
そんな心の変化だった。。。。。
 
 

ある日突然 「顔面神経麻痺」6

今日も昨日と同じく忙しい1日だった。

 
先週私がいない時は
そんなに忙しくなく
今週仕事復帰してから忙しい
というのは、店を空けたものにとっては
この上なくありがたいことです。
 
まさに、神の計らい??
 
そして、やはり今日も
忙しく体は動きっぱなしだったけど
 
昨日と同じく
 
ラクな気持ちで仕事が出来た。
 
これはいい!
 
余分な力が入ってない感じだ。。。
 
私に大切なことを教えてくれた方がこう言った。。。
 
「胸意識の感情に素直に耳を傾けてあげてください。」
 
 
今、まさに胸の気持ちを感じとっている。。。
 
昨日と同じくラクでいい感じだ。
 
自分はいつも頭で見ていた気がする。
 
あるものを少し手放したでけで
結構ラクなもんだ。
 
確かにゆっくり休ませてもらったから
今、気持ちに余裕があるだけかもしれないけど
 
でも、確かに今までとは確実に何かが違う。
 
言ってみれば、いい感じだ。
 
もう少し、胸意識の感情に気持ちを委ねてみようと思う。。。。
 
 
 
どうでもいい話しかもしれないけど
入院した日(2/5)と退院した日(2/11)というのは
実はメモリアルな日なのだ。
 
2/5は天体的に言って
とても節目の日だったらしく
 
心機一転、リセットからのスタートラインということで
ある意味ここから始まる日のようだ
 
↓(下記参照/妻が教えてくれました)
 
 
「心新たに“自分の道”を歩いていく日」
 
 
そして、2/11は日本人なら誰でも知っている
 
 
この日は、日本が建国(初代神武天皇が即位)して
今年で2679年目。
2/11はのスタートの日
言わば、新年スタートの日なのだ。
 
入院した日が
自分の道を歩いていく日の始まりとなり
 
一週間の間、自分をよく見つめ
心の声を聞き、気持ちを整理し
 
そして、退院の日に
スタートをする!
 
そんな感じにとれる期間だったように思う。
 
自分がただ意味付けしてるだけかもしれないけど
それはそれで良しとしよう。
 
ここは、気持ちよく自分が思っていればいいだけだから。。。
 
 
実は、私は
日本の神話が好きなのだ。
 
神話は面白く、そして神話一つ一つにメッセージがある。
 
何が面白いかって
 
外国は神話と史実はくっきり別物と分けられているけど
 
日本だけは
神話から史実へ一本の糸で融合しているのだ。
ここが面白いのだ!
 
日本の神様といったら
 
 
このアマテラスの孫にあたる
 
ニニギノミコトが日本の地に降り立って
コノハナサクヤヒメと結婚する。
 
ニニギとサクヤヒメの子である
三男のヤマサチヒコが海にいるトヨタマヒメと恋に落ち
 
やがて子供(ウガヤフキアエズノミコト)が生まれ、その子供(ウガヤフキアエズ)は
トヨタマヒメの妹(タマヨリヒメ)と愛し合い、4人の子供が産まれた。
 
その4番目の子供がカムヤマトイワレビコノミコト、後々初代神武天皇となる人なのです。
 
そして、現在の天皇明仁天皇)の125代まで途切れることなく
続いているのだ。
 
これはまさに、神話と史実は一本の糸で繋がっている
日本だけのロマンというかなんというか、とにかく凄いことなのだ。。。
 
 
なんか、だいぶ逸れた話しになってしまたが
今日はこの辺までとしよう。。。
 
 
 

ある日突然 「顔面神経麻痺」5

入院から7日目、

予定通り退院した。
 
前にも書いたけれど
顔の半分が動かないだけで
身体はいたって問題ない。。。
 
 
顔が動かないというのが
何が辛いかというと・・・・
 
 
目が閉じれないのだ。。。
 
 
それもそのはず
瞬きが出来ないから
起きている間、たった一回の瞬きもない。
 
それにしても
人間の身体とはよく出来ている。
目を守ろとする(渇きを防ぐ)ためなのか
涙が時々出る。
 
寝てる時も目を瞑れない。。。
つむっているつもりでいるだけで
実際には白目を剥いた状態になるのだ。
 
だから、毎晩上瞼(うわまぶた)を下に引っ張り
テープを貼って寝ているのだ。
 
意外と滑稽な姿なもんだ(笑)
 
でも、寝ている間は意識が飛ぶからまだいいとしよう。。。
 
実は、自分の髪をシャンプーしている時が
これまた大変なのだ。
 
それもそのはず
目が閉じれないから
泡だらけのシャンプー液が容赦なく
私の左目を襲う。。。
 
仕方がないので片方の手はまぶたを抑えて
片手でゴシゴシとシャンプーするしかない。
 
最近は、そんな毎日だ。。。
 
 
そして、今日
一週間ぶりに仕事に戻った。
 
皆が
「大変でしたね。無理しないでね」と
声をかけてくれた。
 
有り難かった。。。
 
 
 
実は、今日
私の仕事復帰を待っていたかのように
お陰様で一日中忙しかった。
 
そして、今日久しぶりに仕事をして
今までと違う感覚があった。
 
 
 
「なんか、ラクだった・・・」
 
 
 
自分の中で
何がラクなんだろう?
なんでラクなんだろう?
 
と思ったら、よくわかんないけど
胸のあたりの
 
キリキリみたいなのが今日は無かった。。。
 
キリキリとは自分の感覚的なものなので
私以外の人は解り難いところだと思うけど
 
「あ〜もっとこうすれば良かった〜」
「なんで、こうしてくれないかなぁ」
 
など、自分にも他人にも感じていた
心の声みたいなものなのだが、
 
不思議と今日は
それが無かったのだ。。。。
 
 
いつもと同じ空間で同じスタッフで
同じ営業時間なのに、、、
 
何が違うんだろう??
たまたま一週間ぶりに仕事したからなのかもしれないけど
 
もしかしたら、
もしかしたらだけど
 
前のブログの時に書いた
 
固執していたものを手放したからなのかもしれない。。。。。
 
 
よくわかんないけど
とにかく、胸の違和感が無かったのだ。。。
 
なんか忙しい一日だったけど
 
ラクな一日だった。。。。。
 
 

ある日突然 「顔面神経麻痺」4

今日は病院での過ごし方を描いてみよう

 
入院しての治療、そして過ごし方は
前回書いたように
 
 
ステロイド剤の点滴投与
 
 
午前中だいたい2時間ほどかけて行う
 
 
この時間は特に本を読んだり
テレビを見たりすることもなく
基本、体を横にしてゆっくりすることにしている
 
これが終わると
ちょうどお昼ゴハンというわけだ。
 
ちなみに病院の1日の流れは
 
 
6:00  起床
7:00  検温
7:30  医師による回診
8:00  朝食
9:30  点滴
12:00 検温/昼食
15:00 二日おきのシャワー
17:00 医師による回診
17:30 検温
18:00 夕食
21:00 消灯/就寝
 
こんな流れだ。
 
ズラッと並べて書いてみると
いかにもやることあるように見えるが
メインイベントは
 
点滴のみ
 
それ以外は大して時間かかるわけではないので
結構時間がある
 
 
しかも、自分の場合は
頭痛いとか気持ち悪いとか足腰が痛いとか
おかげさまでない。。。。
 
 
本当に左側の顔が全く動かないだけで
体は普通なのだ。
 
だから、この時間を有効に使わない手はない・・・・
 
 
おかげさまでいろんなことができている
 
 
こういう時でもないと
確かに自分を見つめたり
今までの生活を振り返ったり出来ないものだ。
 
実は、今までも休みの日とか
これからのこととか
思っていることなどの気持ちの整理はしてたつもりだけど
 
その都度、書いておしまい。。。
 
というのが殆どだった。
 
気持ちを書いて
どう思って
それじゃ、どうしたい
そうかぁ、俺ってこういうことしたいんだ
よし、こうしよう!
 
という流れまで来たことはなかった。
 
 
ところが
今、ありがたいことに
この入院中それが出来る。。。。
 
ここまで落とし込んで
気持ちを整理したことなかった。
 
そういった意味ではこの入院は
みんなに迷惑をかけてホント申し訳ないが
貴重な経験だ。
 
仕事から、生活から離れてみると
見えてくるものもある。
 
普段、いかに
自分ベースで動いてきたか
振舞ってきたかが
 
遅まきながら、恥ずかしいながら感じる。。。
 
何で、こう思ってくれないの?
あ〜おれっばかり・・・
あー時間がない・・・
 
こういうことを思うのは
ワガママというか自分本意だから
こんな風に思っちゃ大人としてカッコ悪い
笑顔でサラッと対応しよう
 
と頭では思ってても
胸のあたりがモヤモヤして
心の奥底(胆)では嫌だったんだと思う
 
この入院中
そんなことが見えてきた。。
 
自分の小さな、また恥ずかしい一面だけど
正直な気持ちだった。
 
今までも同じ気持ちだったのに
それを見ないフリをしてきたように思う。
 
それを今回
思い切って心の気持ちを書いて
整理してみた。
 
店のこと、スタッフに思っていることなどなど
ブァーとだ。。。
 
ドンドン書いた
遠慮せず書いた
 
書いてみるど結構出るものだ・・・
 
気持ちを書くと、次に自然と書いた内容は
「俺はこーして欲しいんだよ。」という
心の叫びみたいなことを書いていた。
 
その後だ。
自分の心に変化を感じたのが・・・・
 
気持ちを書くだけ書いて
言いたいことを書いたら
 
次出た感情が
 
書いていた相手に対しての
 
「ありがたい」
 
という気持ちだった。
 
 
正確にいうと
ありがたいと思う前に
 
 
「あれ?」
 
この起きてる事柄(自分が不満に思っていること)って
もしかして、俺が原因じゃね???
 
と。
 
そう思ってから、不満に思っていた相手や思い通りにいかない対象に
 
「申し訳ない」
 
という気持ちが出てきた。
 
そう思ったら
 
急に心臓がドカドカして鼓動が早くなって
いきなり涙が出てきた。。
どんどん出てきて止まらなかった。。。
 
それからだ
 
「ありがたい」という感情が出来てきたのが。。。。
 
そこからは自責の念と申し訳ないという気持ちと
ありがたいという気持ちが一気に押し寄せ
自分の身体が対応出来ず、
 
心臓がドカドカしたのかもしれない。
 
あの時から、二日ほど経って少し冷静に慣れたので
そう思えるのかもしれない。
 
とにかくそんな感じだった。。。
 
初めての出来事というか
心の変化だった。。。。
 
 
自分には仕事に対して
 
これだけは大事!というのがあった。
それをみんなに押し付け、無理に理論立てて共感を求めていたのだ。
 
これがわかった。
 
自分が思っている大事なことは
本当に大切なことなので大事にすることは
これからも変わらないけど
 
これを無理に
 
「させる」
 
のは本来違うことなのだ。
 
理想とするところは
自然に
 
「なっている」
 
が大事なところなのだ。
 
 
ここに気付かなかった。
逆にいうと気づいた。。。。
 
 
大きな気づきだった。。。。。。
 
 
自分が固執していることを
 
手放そう
 
と思った。
 
手放すと決意した。
 
何も手放すのは
大切にしているそのものではなく
 
それを人に求めることをだ。
 
求めるのではなく、
自分がひたすらやればいい。
 
みんなが自然となっている状況にするのが
本来、トップの役目なのであって
無理にさせることではないのだ。
 
そんなことを
いろいろ感じる入院生活だ。。。。